第19回日本オープン観戦記(5回戦)

第19回日本オープン決勝観戦記
5回戦
【担当記者:五十嵐毅】
4回戦オーラス、柴田がラスならば2着で良しとし僅差のトップ目からアガリに向かうことなく2着を受け入れた飯田がトータルトップ。
もちろん飯田有利だが、2位柴田との差は51.4P、3位宍戸との差は56.4P。
両者ともトップを取って飯田を3着以下にすれば優勝だ。
また、柴田は11400点差のトップ2着でもいい。
宍戸は16500点差のトップ2着でOK(準決勝順位は宍戸のほうが下)。
つまり、柴田と宍戸はトップを取りさえすれば、それほど難しい条件ではない。
こうした状況で最終戦が始まった。
5回戦(宍戸-柴田-荒木-飯田)
東1局、飯田が積極的に2フーロ、喰いタンのテンパイ。
ドラ
このとき柴田がメンホンのテンパイ。を引いてカン
待ちから
に変化。

ここでリーチもあるかと思われたが、直撃のチャンスでもあるのでヤミテンを選択。
2巡後、飯田がをツモった。
柴田がリーチをしていたとしても、飯田が掴んだのはスジで場に1枚切れののみ。
次巡にはツモるので結果は同じだっただろう。
東2局は柴田のピンフリーチに荒木が放銃。2900。
1本場、ピンフドラ1イーシャンテンだった飯田が薄かったを引き入れ
リーチ。

これが絶テンでヤマに4枚残り。
時間はかかったが、裏ドラののほうでツって2000・4000。
飯田の条件を考えれば十分な加点である。
東4局、宍戸にチャンス手。飯田の親番で小三元ホンイツチャンタをテンパイ。

しかし、待ち牌のは脇に流れ、流局して南入する。
南1局は親の宍戸が粘って4本場に。
このうち2000オールのアガリが2回あり、飯田をまくってトップ目に立っている。
しかし飯田が2着であり、目標とする16500点差にはまだ届いていない。
ここで3者の手がぶつかった。
まず柴田がタンピン高目三色をリーチ。

飯田が5メンチャンでテンパイし、勝負で追っ掛け。

このをチーして宍戸がチンイツ
テンパイ。

しかし、柴田はカラテン。
宍戸はが3枚。
対して、飯田のは6枚残り。
宍戸がを掴んで放銃、裏ドラ
も乗って3900。
親が終わり、目標とする点差までが遠くなった宍戸。
苦しくなったと思われたが次局、小三元よりもチンイツよりも大きなチャンス手が入る。
南2局、1巡目のツモでアンコが2つになった。
その後もゴツゴツとしたツモで、6巡目に早くもタンヤオ三暗刻のカン待ちでテンパイする。
一方の飯田、8巡目にタンヤオ待ちをテンパイしもちろんヤミテン。

9巡目、宍戸がを引いてアンコが4つに!

は場に1枚切れ。
での6400直撃でもかなり嬉しいので
切りとすると思われたが、宍戸が手をかけたのは
だった。
対局後、宍戸は語っている。
「は飯田さんに危ないと思っていたので、先に切りたかった」
四暗刻確定のもっといい待ちにするために、危ないを先に切ったということだ。
「危ない」というこの読みはある意味当たっていた。
なにしろ放銃となったのだから。
無粋を承知で数えてみよう。
この時点では荒木の手に2枚、柴田に1枚。
はともに3枚残りだった。
宍戸がを切っていればどんな未来が待っていたか。
宍戸本人はもちろん、視聴者も見たかったに違いない。
宍戸の見せ場もここまで。
親番が終わった柴田も難しい条件しか残っていない。
南3局は飯田がのみで流し、オーラスの親番は流局一直線で手牌を伏せて終わらせた。

飯田雅貴、4期後期の入会。
当時20歳だったが、対局中はまったく表情を変えず、風格があるというか、ふてぶてしささえ感じたものだった。
ただし、対局内容はまだ粗削りだった(だから20歳だって!)。
時がたち、雀力とキャリアが見た目に追いついてきたようだ。
17年目の初タイトル、おめでとうございます。
