第20回日本オープン観戦記(1回戦)
【担当記者:坪川義昭】
【村田 昴】
・8期後期入会
・雀王戦C3リーグ所属
おそらく、読者の1割もピンとくる者はいない打ち手である。
そして、日本プロ麻雀協会に所属するプロですら半数以上は彼がダレなのか知らない—-
十数年前。
【内海 元】
第9期雀竜位を戴冠。第11回野口賞男性棋士部門受賞。そして、第13回モンド杯出場。
その時代を知るオールドファンならば、凄まじい実績に震えるのではないだろうか。
当時の所属リーグは雀王戦Aリーグ(現A1リーグ)である。
この二人は同一人物で当時と今では登録名が違うだけだ。
仕事の都合で雀王戦の出場を断念し、長い年月が経った。また、こうして彼の麻雀を目に焼き付けることができることが堪らなく嬉しい。私は彼の雀王戦専属採譜者だった。
今の時代、上位リーグの対局はほぼ全てが映像で観ることができるようになったが、当時はそんなものは存在しなかった。
観戦者が現地に足を運び、対局者の後ろで採譜係が全局の配牌、ツモ牌、一打一打をペン片手に取り続ける。
「俺の牌譜、1年間全部取ってくれないか?」
あれからもう15年くらい経ちましたかね?
「それでは対局開始してください」
当時あなたの背中を見ながら記録を取っていた私が立会人として対局開始の合図をする。
東1局
中盤にピンフのテンパイが入る。
当時と変わらぬ姿勢、変わらぬテンポでを縦に置いた。
–という待ちが悪いというわけではない。親の五反地が早々にドラを切り飛ばしているわけで、次の手出しで捲り合いを仕掛けられるのは容易に想像がつく。
ならば、一手の変化で勝負手に進化してから捲り合っても遅くはない。
400-700。
勿体無いとは思わない。ヤミテンにするならば、それなりの理由ってやつがある。
東2局
4巡目にして7700点のヤミテン。
何も情報がないならばリーチと宣言してゆっくりと18巡かけて山との勝負をしたいところだが、今回は岡本がと並べてアガリ牌が場に放たれやすい状況になっている。
岡本にとっては警戒しろと言われても無理がある放銃となった。
南1局
村田が後悔した局があった。
ラス目の岡本がホンイツに向かってを仕掛ける。
8巡目にでチーしたところなのだが、まだ字牌も余らずでテンパイの可能性は周りから見ると低く見えるだろう。
村田はというと、既に全方向への守備駒を集め始めていた。
「周りの点棒状況を加味して、序盤アシスト気味に打てば良かったな」
岡本がもっと早い巡目で2副露目が入っていたならば。 それが役牌だったならば。
五反地や飯田もおいそれと突っ込んでいけなくなる。それを演出する為に仕掛けが入った瞬間に他の字牌も切り飛ばすことも選択の一つだったと振り返る。
結果的に親の五反地が2000オールをツモアガり、村田を追い詰める展開が始まった。
南4局
村田と五反地の点差は4100点。
この待ちならばと一発か裏ドラにかけて五反地がリーチと出た。
後のない親の岡本も渾身のリーチを放つ。
村田の手牌は完全に詰んだ。
拝みながら、そっと右から2枚目の牌を摘む。
裏ドラ1枚で40pの上下があるならば当然、五反地の指先にも力が入る。
1個ズレ。
初戦は村田が薄氷のトップを飾った。
集計を終え、控え室に戻ると待ってましたと言わんばかりに村田が出迎えてくれた。
「どーやった?なんかミスあったか!?」
「南1局はあれ、アシスト気味に進行した方が良くない!?」
「最後の局は4枚目の見落としてたわー…ショック。で次がやね」
15年経っても内海と私の会話は変わらない—-