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順位
名前
TOTAL
1日目
2日目
11回戦
12回戦
13回戦
14回戦
15回戦
16回戦
17回戦
18回戦
19回戦
20回戦
1
鈴木 たろう
427.4
-24.7
199.8
7.3
-50.0
67.3
71.7
70.9
56.9
11.8
5.5
51.8
-40.9
2
矢島 亨
159.7
-67.7
98.0
-21.0
53.9
-52.1
-62.4
27.7
10.9
-10.7
70.1
7.8
105.2
3
伊達 直樹
-190.4
63.8
-149.5
-41.7
-14.1
15.8
8.2
-64.7
-52.6
76.0
-25.7
-17.3
11.4
4
木原 浩一
-405.7
26.6
-148.3
55.4
10.2
-31.0
-17.5
-34.9
-18.2
-77.1
-51.9
-43.3
-75.7

【3・4日目観戦記】   | 1・2日目観戦記 |

 ツモ

これを見ただけで何の牌姿なのかピンときた人は、かなりの麻雀マニアだと思う。

2003年、第15期最強戦。全国の頂点を決める決勝卓に、鈴木たろうはいた。
南3局、たろうがチートイツのリーチを入れる。
トップしか意味の無いこの大会で、鈴木たろうはトップ目と40000点差をつけられていた。
たろうは既に親番を失っており、当時の観戦者も 「恐らく鈴木たろうは逆転できると考えていない。リーチで一応形だけ作りにいったのだろう」と思っていたという。
ところが、このリーチがなんとトップ目からのハネ満直撃となり、優勝に16000点差まで詰め寄った。

そして迎えたオーラス。
「諦めなければチャンスは必ず来るなんて思っていない。けれど、チャンスが来た時にしっかりと捉えられるよう、一つひとつを丁寧に打ちたい」
そう語るたろうは、決して良いとは言えなかった配牌を、冒頭の牌姿に仕上げる。
決勝戦オーラス、四暗刻による奇跡の大逆転。
沸き起こる大歓声の中で、当時まだ若手のひとりであった「鈴木たろう」が、人々の目に深く刻まれた。

その後たろうは、2005年に日本プロ麻雀棋士会から日本プロ麻雀協会へ移籍。
ストレートで昇級を重ね、Aリーグ入りしたその年の決定戦に早くも出場している。
2009年には、協会最高峰のタイトルである雀王を戴冠。
部屋には様々な大会の優勝盾がずらりと並び、これまで数えきれない程のタイトル戦の決勝に残ってきた。

「ゼウスの選択」
ゼウスとは、ギリシャ神話に登場する全知全能の神である。
元々はセガのアーケードゲーム『MJ』のキャッチフレーズであったが、いつしか人は、たろうの麻雀をそう表現するようになった。
その右腕は、勝負所で入った手を決して取りこぼさない。
常人には選択できない手組み、押し引きを目の当たりにしてきた人々には、大袈裟ではなく、本当にたろうが神のように映ることがあった。

そして今年。目の前には、未だ誰も成し得ていない雀王・二連覇が控えている。

たろうは、自分を神様だと思ったことはない。ましてや、全知全能でもない。
ただシンプルに、自分が選んだ道の中では誰にも負けたくない。その気持ちが、人よりもほんの少し強いだけだ。
「勝つ」為なら、神にでも何にでもなってやる。

第12期雀王決定戦、後半戦。
鈴木たろうはゼウスの仮面を付け、静かに席についた。

 

【11回戦】(たろう→矢島→木原→伊達)

2日目を終えて、ここまでのトータルポイントは以下の通り。

鈴木 たろう +175.1
矢島 亨   +30.3
木原 浩一  △121.7
伊達 直樹  △85.7

後半10回戦。まだ細かい着順操作より、それぞれ自身のトップを優先してくる。
たろうは、自分がトップを取れない時には、誰をトップにするかを選びたい。

東場は、静かな立ち上がり。
大きな動きも無く、東3局に木原が伊達から和了した5800点が最高打点。

その木原が、微差のトップ目に立った南1局。

2着目はたろうで親番。ここには連荘させたくない。
序盤、矢島がノータイムでを仕掛けて、この形。

矢島(南家) 4巡目
 ポン ポン ドラ
はっきり言ってバラバラだが、捨牌を作りピンズのホンイツに見せていく。
ドラもピンズで、たろうを牽制するにはちょうどいい。

実際、矢島の仕掛けに反応させられたたろうは、この牌姿から仕掛ける。
 ポン ドラ

その陰で、比較的自由に打たせて貰えた木原の、9巡目の手番が面白い。
 ツモ ドラ

456の三色が見えているが、は3枚切れ。
小考の後、木原はを切り出していった。続いてを引き、を滑らせる。
矢島に対してが出ていかない手組みにし、形の良いピンズとソーズで固めた。
終盤、を引いてでリーチをかけるも、しぶとく食らいついた伊達と2人テンパイ。

矢島のファインプレーと木原の丁寧な手順が、たろうに親をやらせない。

しかしそのたろうは、トップ目が木原と見るやいなや、南3局、オーラスとピンフを静かにダマでアガって、さらっと2着取り。
無理に木原を捲りにはいかない。


たろうからしたら、3人の中でトップを取って貰うとしたら木原が良い。
並びを意識して最善の選択ができることは、当たり前のようで流石である。

オーラスの放銃でうっかりラスに落ちかけた矢島が、複雑な面持ちで胸に手をやる。
終始手が入らず、ノーホーラの伊達が痛いラス。

11回戦結果 木原+55.4 たろう+7.3 矢島△21.0 伊達△41.7

11回戦終了時トータル
鈴木 たろう +182.4
矢島 亨   +9.3
木原 浩一  △66.3
伊達 直樹  △127.4

 

【12回戦】(たろう→伊達→矢島→木原)

初戦トップで、気を良くした木原。
東2局には、この日全員を通して初めての満貫手をアガる。

東2局1本場 木原(西家)
 ツモ ドラ

会場内にじわりと木原連勝ムードが漂う。
そこへ待ったをかけた、親番矢島の配牌。

東3局。
矢島(東家) 1巡目
 ドラ
ドラ暗刻、ダブ対子。思わず顔が緩みそうな配牌である。
2巡目にを引き、すぐにダブも鳴けて、インスタント12000点のテンパイ。
更に、ドラのを持ってきて暗カン。

矢島(東家) 6巡目
 暗カン ポン ドラ
できれば目立ちたくなかったが、打点が6000点アップなら致し方なし。
しかしこのペンは、不運にもたろうに暗刻である。

そのたろう、9巡目に以下の牌姿。
たろう(西家) 9巡目
 ツモ ドラ
は矢島の現物。聴牌してもリーチは無いとして、ストレートにが普通か。
が通ったり重なったりした時に、そっと前に出れるようにしておきたい。

しかしたろうは、ここからノータイムでをツモ切る。これには驚いた。
実は、前巡に矢島の上家から伊達がそっと無スジのを押したのを見て、伊達を動かすor差し込むことにしたのだ。
このに対して、狙い通り伊達が1000点の手を倒す。唇を噛む矢島。
伊達自身も「このを見て、こっちに早く打て」と思っていたに違いない。
結果はどちらも伊達に放銃であったが、たろうはこうした細かい努力を、決して怠らない。

南1局、トップの木原からラスのたろうまで11100点差と平たい。
序盤、矢島が立て続けにとドラのを叩く。

矢島(西家) 3巡目
 ポン ポン ドラ
二つ鳴かせた北家木原の手は、両面だらけとはいえ6ブロックの三向聴。
木原も、平素の矢島のブラフ仕掛けから、少し矢島を甘く見たか。
または、自分はたろうの上家なので、もしたろうに鳴かれてもその後は自分が抑えれば良いと踏んだか。

矢島は中盤テンパイを果たすも、山に2枚あったカンは全て脇に吸収されて流局。
続けざまに入る本手を一つもアガれない。

南4局、それでも矢島はコツコツと加点し、たろうとトップラスの絵ができた。
このままの着順で半荘を終えると、観戦も面白くなる。
オーラス、点棒状況は以下。
木原(東家) 30200
たろう(南家)10000
伊達(西家) 26900
矢島(北家) 32900

ゼウスの右腕が、三者同士の点差を確認する。
自身のラスは仕方ないとして、矢島のトップを防ぎたい。
許されるのは、矢島を2着以下に引き摺りおろす直撃か、木原、伊達へのアシスト。
これは、木原や伊達にとってもトップを取るチャンスである。

しかし1巡目にドラの、5巡目にと整理する矢島の捨牌が早い。
成す術もなく、速攻の1000点が決まる。

矢島(北家) 9巡目
 チー ロン ドラ

矢島がゼウスに見事なトップラスを決め、その膝下へと一歩近づいた。

12回戦結果 矢島+53.9 木原+10.2 伊達△14.1 たろう△50.0

12回戦終了時トータル
鈴木 たろう +132.4
矢島 亨   +63.2
木原 浩一  △56.1
伊達 直樹  △141.5

選択と抽選。
木原の麻雀観は、この二つに集約される。
選択とは「打牌や仕掛けなど、完全に自分の意志でそれを行う事ができるもの」、
抽選とは「配牌やツモなど、自分の意志とは無関係に偶然に選ばれるもの」である。
麻雀とは、その二つの繰り返しのゲームであると、木原は言う。

つまり大事なのは、少しでも良い抽選を受けられるよう、最善の選択を繰り返すこと。
抽選結果は偶然に支配されているとしても、選択は努力で変えることができる。
木原は日々、選択の精度を上げる鍛錬を怠らない。

今年木原は、最高位戦Classicで見事優勝を果たした。
その事について、木原は自身のブログでこう触れている。

「第8期最高位戦クラシックに当選しました。
……これまでタイトル獲得の機会は約60回あり、その内4回を決勝まで進出して、1回獲ることができました。
平凡な雀士の平凡な結果だと思います。
偶然タイトルを獲っただけで、自分が強者であるなどと勘違いも起こしようがありません……」

どこまでも控え目なコメントである。
華やかな結果の裏にある幾つもの傷跡を、木原は決して人には見せない。
また、「優勝」を「当選」と表現する木原にとって、結果はあくまで、人智の及ばない「偶然」なのだ。

しかし、その木原が「今回の雀王決定戦だけは、今までの麻雀人生で1番勝ちたい」と言い放った。
勿論、「絶対に勝つ」と強く心に決めたところで、想いは抽選を変えることはできない。
しかし、今日まで積み上げてきた鍛錬の時間は、木原が少しでも良い抽選を受けられるよう、木原の選択を味方する。

「後悔しないように」だとか、「自分の麻雀を打つ」だとか。
綺麗に飾られた言葉を、木原は使わない。
木原はただ「当選」だけを夢見て、自分が最善と信じた選択を、静かに繰り返す。
機械的に。機械的に。

 

【13回戦】(たろう→伊達→木原→矢島)

優勝に向けて、まだまだ各人現実的な数字である。
ここで木原や伊達が2勝すると、本当に誰が優勝するかわからなくなる。
東1局、起親はたろう。
このポイント状況から、ゼウスが親番でどのような選択をするのか非常に興味がある。
注目は5巡目。
たろう(東家) 5巡目
 ツモ ドラ
ここからゼウスは、に手をかける。
三色を見据えて高打点を狙い、状況に応じて役牌で逃げられる。
時に巷で「安く早く」と勘違いされがちなデジタル麻雀だが、この打点とスピードのバランス感覚が真のデジタル麻雀であると、私は思う。
この局は矢島からリーチが入るも、を叩いていたゼウスが2900のアガり。

東1局3本場、木原の配牌は、相変わらず悪い。
木原(西家) 1巡目
 ドラ
決定戦を通して木原の手は、ドラ暗刻が入るも4面子1雀頭が作れないか、こうした配牌を配られてオリに回らされるかの二択しか見ていない。
ここまで空クジばかり引かされ続けていれば少しは熱くなりそうなものだが、本人は至って飄々としている。
それは木原が、「空クジを引かされ続けること」が麻雀においてどれだけありふれている話かを、体で知っているからに他ならない。

3巡目に中張牌をツモったところで、前巡引いたを手出して国士の匂い消しをする。
道中、自分で切っているの手出しで七対子・チャンタも否定され、端から見て本当に何をやっているのかわからない河ができた。

木原捨牌

実際は、この一向聴。
木原(西家) 11巡目
 ドラ

後ろで見ているギャラリーも、木原がツモる度に心の中で力を込めていた。
しかし無情にも、矢島から軽めの空気でリーチが入ってしまう。

矢島(北家) 11巡目
 ドラ

「テンパイ時、国士を警戒させない」というメリットを取ったかわりに、
「他家をある程度自由に打たせてしまう」というデメリットが発動した。
木原からしたら、ただそれだけの話である。

しかし、矢島の待ちは悪く、木原の手を完全に国士だと思っていない。
ここで木原がテンパイすれば面白い、と思って木原の後ろから覗くと、あろうことか手牌の右端に悪気なくが座っていた。

木原(西家) 12巡目
 ドラ
なんと一発でつかまされた木原。どこまでツイていないのか。
結局はたろうがカンチャン落としでを放銃したのだが、点棒を受け取る矢島の陰で、また一つ空クジが宙に投げられた。

東2局、たろうが二つ仕掛けてホンイツ模様。

たろう(北家) 5巡目
 ポン ポン ドラ
形は悪いが、トータルトップであるたろうの仕掛けに対して、他家は向かい辛い。

一方、親番の伊達。
伊達(東家) 9巡目
 ツモ ドラ

ドラ対子だが、形が悪すぎる。
何が正着だろうと思って見ていると、伊達はを離した。

メンツ手ではターツオーバーで、タンヤオも厳しい。
将来たろうに打てなくなピンズを処理しつつ、チートイツが本線。勉強になる。

その後伊達は、山にいそうなマンズを残して、終盤チートイツドラドラのテンパイ。
たろうが切っている待ちを選択し、最後のツモで4000オールに仕上げた。

伊達(東家) 18巡目
 ツモ ドラ

「これは上手い」というギャラリーの空気が、伊達を包む。

東2局3本場。
続けて2900、5800と加点する伊達。
伊達以外の三者は、トータルポイントを考えると、伊達にトップを取られる分には構わない。
しかし、これ以上伊達を走らせる訳にもいかない。

その伊達、ダブをポンして打をポンして打
こういうプレッシャーの掛け方をしてくるから、伊達は怖い。

伊達捨牌

 ドラ

安牌が切られていて、最終手出しが
立派な5800以上のイーシャンテン〜テンパイ気配である。

これに対し、一気通貫が見えている矢島。
矢島(西家) 10巡目
 ツモ ドラ
ピンズの上や、マンズの真ん中は、如何にも打ちづらい。
伊達に対して一度頭を下げる、打を選択。
しかしこの後をくっつけ、を引き入れてリーチ。

矢島(西家) 14巡目
 ドラ

蛮勇に映るかもしれないが、伊達の手出しから伊達はを持っていないように見え、
また矢島自身で4巡目にをツモ切っており、そこまで待ちは悪くもない。
ここへ伊達が飛びこんで、裏1で5200点。

実際、矢島がを止めて回った時点では、伊達はペンで5800のテンパイ。
ピンズの上が当たりである。さすがの一言。

東3局にはたろうが満貫をツモり、伊達をかわしてトップ目に立つ。
いつも他家同士の戦いを横目で見ながら、隙を見てスッと抜け出している。

南1局。
たろう(東家)34700
伊達(南家) 38000
木原(西家) 5200
矢島(北家) 22100

そのたろう、親番でドラ暗刻。
たろう(東家) 9巡目
 ポン ドラ

これが決まるとまずい。
対面の木原が、タンヤオでかわしにかかる。
木原(西家) 12巡目
 ポン ロン ドラ
たろうから、値千金の1000点。
この点棒状況では、木原も打点が欲しいはずなのに。しかし最優先すべきは、たろうに親番で叩かせないこと。
結果その1000点は、13000点の価値を生んだ。

この後は、伊達とたろうのマッチレースが続き、オーラス。

南4局。
矢島(東家) 12900
たろう(南家)38300
伊達(西家) 37800
木原(北家) 11000

矢島(3着)と木原(ラス)の点差があまりなく、伊達も2人に助けて貰いづらい。
と思っていたら、またしてもたろうがあっさりと満貫のツモ。
トップを取るには1000点で良かったのに、親被りで矢島にラスを押しつけられたのだから、たろうにとって言う事は無い。
先程のお返しで、今度はたろうが矢島にトップラスを突きつける。

13回戦結果 たろう+67.3 伊達+15.8 木原△31.0 矢島△52.1

13回戦終了時トータル
鈴木 たろう +199.7
矢島 亨   +11.1
木原 浩一  △87.1
伊達 直樹  △125.7

私の事などはどうでも良いが、思い出話を少しだけ。
私が矢島と初めて出会ったのは、かれこれ10年以上前になる。
当時、私が勤めていた横浜の雀荘で知り合った。
爽やかな見た目と人懐こい性格で、矢島を慕う人間は多く、また、周囲からの雀力の評価も高かった。

矢島の4つ下だった私は、弟のようにかわいがってもらった。
私は矢島のことを「やじさん」と呼んでくっついて歩き、よく横浜でお寿司を奢って貰っては、近くの雀荘でサンマ(三人麻雀)をした記憶がある。

その後、矢島は就職し、私は大学在学中に麻雀プロになり、それぞれの居場所を見つける。
お互いが、忙しく暮らす日々に迷い込み、自然とあまり会うこともなくなっていった。

数年後。
仕事帰りの京浜東北線の中で、思わぬ再会を果たした。
偶然、目の前の席に矢島が座っていたのである。
最後に会ったのは、いつだろう。
久しぶり!から始まり、お互い積もりに積もった近況をまくしたてた。

「そういえば藤原くんって、今プロやってるんだよね?」
「そうですよ!やじさんもやりましょうよ!やじさんならすぐAリーグですよ!」
「お!じゃあ今度プロテストを受けてみるよ!」

今思えば、矢島に対して、最初で最後の先輩ヅラだったと思う。
しかし、所詮電車の中での一コマ。
私もそこまで本気にしていなかったし、矢島の一言も空気を壊さない為の軽い返事だろうと捉えていた。

しかしその年、矢島は言葉通り『日本プロ麻雀協会』に入会。
元々評価の高かったその雀力を武器に、光の速さで昇級していった。
また、明るく爽やかなその人柄が、多くのファンを惹きつけた。

気が付けば矢島は、いつの間にか私には手の届かない存在になってしまっていた。
私だって、「すぐに追いついてやる」という気概が無い訳ではない。
しかし、現実はそこまで甘美でもない。
メディアに華々しく登場する矢島を眺めていると、「流行る前から知っていた有名人」を見ているようで、どこか複雑な気持ちになった。

そして今年。
矢島は登りつめた。

当協会の最高峰タイトルである「雀王」に、その右手をかけた。
矢島を取り囲む厚いギャラリーをかき分けて、遠巻きにつま先を伸ばして立ち見する自分がいた。

私の声援など、いまや矢島を慕うファンの一人の声でしかない。
それでもやはり、私だけが持つ特別な感情で、矢島の背中を見つめる。

たぶん矢島が雀王を獲ったら、本当に私なんかには手の届かないところにいってしまう。
その前に、もう少しだけ、あの頃の感じで。

―――やじさん、これが終わったら、また横浜でサンマしましょうね。優勝しなかったら、お寿司奢ってもらいますからね。

自分にしかできない、最後の後輩ヅラで、そっと呼びかける。

 

【14回戦】(伊達→木原→矢島→たろう)

残りはあと7回戦。もうたろうにトップは取らせられない。
まだ全員優勝条件はあるが、3人がかりでどこまでたろうを抑えられるかが重要なポイントになってくる。

東1局。
5巡目、たろうがここから加カン。
たろう(西家) 5巡目
 加カン ドラ

残り6回戦のトータルトップで、この牌姿から反撃を恐れずに加カンできる人間が、果たして何人いるだろうか。
この呼吸がなんとも鈴木たろう。

しかしここでカンドラをプレゼントされた伊達が、終盤にチートイツでリーチ。
直後に三色テンパイを入れた木原が追いかけ、2人でたろうを挟む。

伊達(南家) 16巡目
 ドラ

木原(東家) 17巡目
 ドラ
は地獄単騎。伊達の捨牌から、たろうは伊達の手をチートイツと読んでいるであろうが、木原との共通安牌が少なく、はつかめば出るかもしれない。一方、は山に2枚残っている。

結論は伊達が、ハイテイにいたを珍しく強めに叩きつけ、貴重な3000・6000。
しかし木原は、これでもかという程に本手をアガれない。

東2局には伊達がダブ東ホンイツの4000オールをツモって、抜け出す。

東3局。
3巡目、たろうの手が止まる。
たろう(東家) 3巡目
 ツモ ドラ

どこで残りの3面子1雀頭を作るか。素直に考えればだが、マンズで1面子、ソーズで2面子1雀頭と考えることもでき、簡単には打ちづらい。
小考の後、たろうは打を選択。やはり、まだソーズの形は決められない。
次巡、を引く。ドラを打てば、一盃口のテンパイである。

しかしたろうは、ふわっとを離した。

たろう(東家) 4巡目
 ドラ

確かに情報の無いカンに固執するより、こうしておくとドラ周りを引いてもリーチが打てる。
裏目のカンをツモれば、ドラ単騎に受けても良い。まさにゼウスの選択、真骨頂。

直後に、ドラそのものを引き、打で悠々とリーチ。
まるで最初から決まっていたかのように、一発でを引き寄せる。

たろう(東家) 6巡目
 リーチ一発ツモ ドラ 裏ドラ

後ろから見ていなければ、開けられた手を見て、僥倖に感じるかもしれない。
しかし後ろから見ていると、その6000オールは、もはや魔法のようにしか映らない。

その後もたろうは、伊達のダブリーをかわして2600オールをアガった後、ラス前には伊達に7700を直撃し、単独トップ目に立つ。

南4局1本場
矢島(東家) △300
木原(南家) 17200
伊達(西家) 29300
たろう(北家)52800

オーラス。それぞれの点差も離れ過ぎていて、全員何もできない。
たろうは矢島にさえ気を付けていれば、この半荘は終わる。

結論は、リーチをかけた木原が1000・2000をツモり、終局。

矢島、たろうにトップラスをつけるはずが、逆に2回連続でたろうにトップラスを押しつけられた。
あと6回戦を残して、たろう貫録の一人浮き。

14回戦結果 たろう+71.7 伊達+8.2 木原△17.5 矢島△62.4

14回戦終了時トータル
鈴木 たろう +271.4
矢島 亨   △51.3
木原 浩一  △104.6
伊達 直樹  △117.5

伊達には、ひとつの目標があった。
『自団体のタイトルを全て獲得』
これは、入会当初から掲げてきた自分なりの目標である。
そして、現時点で協会員の誰も達成していない。

2005年、新人王。
2009年、雀竜位。
2010年、オータムチャレンジカップ。
「卓上のスナイパー」の異名を誇る伊達は、その一つひとつを狙い打つように、確実に仕留めていった。

そして、今年。目の前に控えている「雀王」を獲れば、目標は見事達成となる。(オープンタイトルである日本オープンは除く)
この目標には、伊達のもう一つのある想いが隠されていた。

伊達の親友である、当協会の鈴木 達也。
達也は、これまで協会員最多である4回、雀王に輝いている。
ライバル心と言えば、そうなのかもしれない。ただ、達也とはまた違った方法で、自分の強さを示したい。
その想いが、伊達の内側にあった。

鈴木 達也と伊達 直樹には、いくつか共通点がある。
その内のひとつは、「見逃すと決めたら徹底的に見逃す」ことである。
たろうにトータル大差をつけられた伊達は、この後のゲームで、これでもかと言うほど矢島と木原に対して見逃しをかけている。
それは、第11期雀王決定戦での鈴木 達也のそれを彷彿とさせるものであった。(そう言えば、その時のターゲットもたろうであった)

特に伊達が達也を真似した訳でも、達也が伊達を真似した訳でもない。
もしかしたら、意識をしていなくても、親友同士思考が似るものなのかもしれない。

しかし、 『自団体のタイトルを全て獲得』

これだけは、達也にも真似できない。
自分が見逃したら、3人に見逃される訳じゃないとわかりながらも、自分の信じたやり方で、目標に近づく。
誰に認められなくてもいい。最後に笑うのは、自分だ。

伊達の口は、決して多くを語らない。周囲の賑やかさからは、とうに身を離している。
ターゲットは雀王。ただ、それだけだ。
片目を瞑った伊達は、沈黙の裏で、そっとスコープ越しに狙いを定める。

 

【15回戦】(伊達→木原→矢島→たろう)

たろうの2連勝。一番近い矢島ですら、300ポイント以上空けられている。
この半荘もたろうに取られてしまえば、最終日を待たずして、もうたろうの優勝で決まりである。

3人の結託により、たろうの牙城を一角でも崩すことができるのか。
それとも、これが事実上の最終半荘になってしまうのか。

本決定戦最大の、クライマックスである。

東3局1本場。
またしてもたろう、微差のトップ目。

矢島(東家) 25700
たろう(南家)29800
伊達(西家) 21000
木原(北家) 23500

中盤、西家伊達のリーチ。
まだ点棒状況は平たいが、これを高目でアガれば、一息つける。

伊達(西家) 9巡目
 ドラ

ここに矢島が追いつき、追いかけリーチ。
だが、宣言牌のは伊達に放銃だ。

 打リーチ ドラ

しかし、伊達はピクリとも反応しない。
ついにスナイパーの見逃しが始まった。
仮にも親の追いかけリーチである。それでも伊達は、自分が矢島に放銃するリスクより、二軒リーチでたろうを挟んで困らせることを選んだ。

しかし、ここに嵌まってしまったのが木原。
元々伊達の現物待ちでテンパイしていたのだが、一発で矢島に打ち上げてしまい、12000。
事情を知らない木原が、黙って点棒箱を開ける。伊達の表情は、いつもと変わらない。

南1局、点棒状況は、以下の通り。
伊達(東家) 17800
木原(南家) 1000
矢島(西家) 42800
たろう(北家)38400

伊達、ここからを落とし、タンピンに向かう。
伊達(東家) 6巡目
 ツモ ドラ

もはやたろう以外それぞれの親を簡単には流さないことがわかっているから、
伊達も重く手を作りにいける。

狙い通り、タンピン高め一盃口になってリーチ。
伊達(東家) 13巡目
 ドラ

矢島から当たらないのはわかっている。
しかし、海底直前に木原から出たの12000をあっさり見逃した時には、畏怖を感じずにはいられなかった。あくまでも、狙いはたろうなのだ。
結果は、たろう以外の3人テンパイ。

南1局1本場。
たろうにも、先程の伊達の見逃しの意図は伝わっている。
いや、こうなる事はもう判っていたに違いないが。

珍しく木原が、3巡目にテンパイ。
 ドラ

伊達の親番であり、当然のダマ。このままアガる気はない。
しかし、こういう手が初戦から木原にもっと入っていれば、また展開は違っていたのに、と少しだけ思う。
今となってはこの手が生きるのは、ドラや三色が絡んで打点がついた時か、たろうから攻撃が入った時のかわし手のみ。

この後ドラを引いた木原は、手組みを変える。
中盤たろうの仕掛けを見て、リーチを敢行。

木原(南家) 12巡目
 ドラ

たろうを降ろす為のリーチであったが、これがタイミング良く一発でのツモアガりとなり、2000・4000。

南2局
木原 (東家) 11300
矢島 (南家) 41700
たろう(西家) 33300
伊達 (北家) 13700

前局のアガりで少し回復した親の木原が、5巡目までにピンズを2つ仕掛ける。

木原(東家) 5巡目
 チー ポン ドラ

決して形が良いとは言えないが、この親番を流すと後が無い。

しかし、まだ時間がかかりそうな木原の捨牌を見て、たろうのがすっと横になって躍り出た。

たろう(西家) 6巡目
 ドラ

宣言牌のを木原が叩き、真っ向勝負を挑む。

木原(東家) 7巡目
 ポン チー ポン ドラ

なんとも頼りないが、もうここはいくしかない。
11巡目木原は、少考の後にをツモ切り。次巡、再び小考後にを手出しした。
他家から見れば、可能性は2つ。単騎選択か、まだテンパイしていないか。
伊達に対する、微かなSOSに見えなくもない。

しかし同巡伊達が、手詰まりを起こす。
実は、少し前から伊達の捨牌も、完全安牌の、スジで2枚切れの、スジで1枚切れのと、除々に苦しくなりつつあることは見てとれていた。

結局、ワンチャンスで木原色のを選び、これがたろうへ8000の放銃となってしまう。

たろう(西家) 12巡目
 ロン ドラ 裏ドラ

最悪の結果だが、伊達を責める事はできない。

南3局
木原(東家) 11300
矢島(南家) 41700
たろう(西家)41300
伊達(北家) 5700

この親番だけは落としたくない矢島。
ところが、思うように手が進まない。

モタモタしている間に、たろうがチーテンの3900を入れた。
巡目は深いが、はまだ山に1枚いる。

たろう(南家) 14巡目
 チー ドラ

矢島を何とか連荘させたい、上家の木原。テンパイ料だけでも、矢島とたろうとの間にかなりの差が付いてしまう。
15巡目におろしたを、ようやく矢島がチーして打

矢島の捨牌


は完全安牌で、さすがに形式テンパイくらいは入っているように見えるが、まだ助けを求めている可能性もある。
流局間際に引いたを握り、木原が場を見渡す。
生牌。これか。ツモ切ったに対し矢島がポンをする。目で頷く木原。

実際には形式テンパイから役有テンパイに変えただけなのだが、木原の意志を込めた、執念の連荘。

南3局1本場、前局ファインプレーをした木原の手が悩ましい。
木原(北家) 6巡目
 ツモ ドラ

ドラをツモって絶好のテンパイ。普段なら、何のためらいもなくリーチにいける。
しかし、点棒状況がこう。
矢島(東家) 43200
たろう(南家)42800
伊達(西家) 4200
木原(北家) 9800

矢島をトップにしたいが、木原が満貫をツモると矢島が2着に落ちてしまう。
かといってこのまま指を咥えて見ていると、自身が伊達に捲られてラスに落ちる可能性もある。何より、たろうに加点されたら最悪だ。

迷った末、木原はを切ってリーチを宣言。
さすがに矢島からは見逃すが、まだ捨牌の情報も少なく、もしかしたらたろうも手詰まるかもしれない。

しかし、直後にテンパイを入れた矢島が、木原の現物となったをたろうから直撃し、大きな大きな3900。
複雑だが、胸を撫で下ろす木原。

矢島(東家) 8巡目
 ポン ロン ドラ

たろうの手を見ると、さりげなく三色テンパイから受け変えて放銃している。
タラレバだが、木原のリーチが無ければ、たろうはカンのままで矢島のアガりは無かったかもしれない。
木原、今度は陰のファインプレー。

南3局2本場、しかしゼウスは、簡単には落ちていかない。
5巡目にあっさりと-のリャンメンリーチ。

誰かがいかなければ。
愚形ながらも手を上げてリーチといった伊達だったが、あろうことか自分の目から5枚見えの-をつかみ、2600の放銃。
裏ドラが乗らなかったのが、せめてもの救いか。

南4局、ついにオーラス。
たろう(東家)42800
伊達(南家)   0
木原(西家) 8800
矢島(北家) 48400

ここでたろうにトップを取らせると、もう最終日は事実上たろうのウイニングランになる。

伊達も木原もそのことをわかっているから、木原は矢島が鳴けそうな牌をおろし、伊達は3着を睨みつつ、状況に応じて矢島へ打てるように構える。
何でも鳴かせて貰える矢島は、積極的に序盤から仕掛ける。

しかし、そんな三者の考えを一蹴するかのように、7巡目にゼウスのリーチ。
対応する暇もなく、2巡後にツモ、1300オール。トップの矢島へ、僅か400点差に詰め寄った。

南4局1本場。
トップの矢島と二着たろうの差、400点。その400点には、子の役満よりも大きな、40000点分の価値(ウマ・オカ)が込められている。
更に、この状況に限って言えば、40000点分よりも大きな、「優勝」を決定付ける意味がある。

たとえこの半荘のトップを矢島に取らせても、3人にはもうたろうを逆転するのは不可能かもしれない。
それでも3人は、目に見えない何かに抗うように、ただ自分に課せられた役割だけを、静かに繰り返す。

…リーチ。

たろう(東家) 9巡目
 ドラ

もう何度目だろう。
その右腕は、これまで三者が抱いた淡い希望を、ことごとく絶望へと変えてきた。
連綿と続くゼウスの攻撃を前に、誰も反撃をする力は残されていない。

立ち止まっている間に、ゼウスの右腕は次々と山をめくっていく。
終盤、伊達が最後の力を振り絞って追いかけたが、ゼウスが軽々とをツモりあげ、1300オール。

南4局2本場
たろう(東家)51900
伊達(南家)△3700
木原(西家) 6100
矢島(北家) 45700

最終局。たろうは流局したら、伏せるだけだ。
矢島が、今一度たろうとの点差を確認する。
その差、6200点。2本場があるので、1000・2000ツモで逆転である。
リーチをかければ木原、伊達は打ってくれるだろうが、出アガり5200点がダメなのは、正直苦しい。

伊達と木原は、粛々と矢島への危険牌を溜めていく。
矢島が条件を満たすテンパイを入れてくれるかも分からないが、その静かな作業だけが、たろうへの唯一の抵抗であった。

そして、15巡目。
ようやくテンパイを果たした矢島が、満を持してリーチといく。

矢島(北家) 15巡目
 打リーチ ドラ

出アガりでは打点が足りない。残り少ない、山との戦いになる。
ゼウスが宣言牌のをポン、丁寧に一発を消した。このくらいの点差であれば、一発や裏頼みの手が多い。
あとは、対矢島の為に取っておいた安牌を並べるだけ。

ここで矢島がアガれなければ、たろうの優勝で決まり。チャンスは、あと2〜3巡。
伊達が、直後に引いた生牌のを手につかみ、場に目を走らせる。
矢島は出アガりができない可能性もあるが(実際できないが)、少しでもやれることはやっておきたい。
矢島も最後に2人が放銃しやすいように、捨牌を作ったりはしていないはずだ。

矢島捨牌


(リーチ)

絶対に打つ。強い意志を持って、伊達がをツモ切る。ハズレ。
続いて、木原の選択。教科書に書いてある危険牌、打。ハズレ。
次巡、伊達。ドラの打。当たり。しかし裏1でも届かず、心で首を横に振る矢島。当たれない。
これか?木原、打。もはや何を放っても、全てが空を切る。

背中を押してくれる2人の健闘が、最後のツモと共に力なく河に落ちる。矢島が、答え合わせの為だけに手を開けた。
この瞬間、第12期雀王決定戦の鈴木 たろうの優勝が、揺るぎ無いものとなった。

圧巻。たろうの2日目、3日目は、どちらも後半3連勝である。
ましてや3日目は、三者にマークされている中での3連勝なのだから、恐ろしい。
これで、一番近いトータル2位の矢島でさえ、365.9ポイントの差がついてしまった。

完膚無きまでに、という表現が一番近い。
雀王決定戦3日目は、ゼウスの名のもとに、三者が平伏した幕切れとなった。

15回戦結果 たろう+70.9 矢島+27.7 木原△34.9 伊達△64.7 (供託+1.0)

15回戦終了時トータル
鈴木 たろう +342.3
矢島 亨   △23.6
木原 浩一 △139.5
伊達 直樹 △182.2

3日目が終わって、矢島と帰りの電車を共にした。
丁度2人分の席が空いていたので、並んで腰かける。マフラーを取ると、矢島が明るく話しかけてきた。

「いやー!あれだけ手が入んないと無理だよ」
「そうですね!展開もしんどかったですね。フリスク食べます?」
「いいね!最終日によくアガれるヤツをちょうだい!」

あれだけ悔しい負け方をしたのに、矢島の表情は少しも曇っていない。
そもそも麻雀打ちは、不遇に対する悔しさを、人知れず自分の中で消化する作業には慣れている。
単純計算で、4回に1回しか得できないゲームなのに、いちいち不ヅキを嘆いていられない。

それでも、矢島がどれだけ雀王に固執していたかは、私なりにわかっていたつもりだ。
矢島は普段通りおちゃらけているが、本当はずっと悔しいと思う。
ただ、それを簡単には表に出さないと、自分の中で決めているだけだ。

矢島は、次の九段下で電車を降りる。
私は、矢島にかける言葉を選んでいた。
もっとも私には、Aリーグの経験も無ければ、大舞台でここまでの大差をつけられた事もない。
なんと声をかけられたら、矢島の気持ちが楽になるだろう。

(頑張ってください!)
(ここから勝つこと期待してます!)
(終わったら飲みに行きましょう!)

どれも、言葉にはできても声にならなかった。

電車が、ホームにゆっくりと滑り込む。もじもじしている私に、ぱっと矢島が振り返った。
「最終日、カッコいいところ見せるからね!」

勝つとか、負けるとかじゃない。言葉を探していた私に、言葉に頼らず矢島は笑った。
こういう矢島の人柄に、私はずっと惹きつけられてきたのだ。

「待ってます!」
ドアが閉まる直前、精一杯の返事を矢島の背中に投げかける。
混雑する人と人の間で、揺れるように上がっている右手が、微かに見えた。

今期を含めてたろうは、これまで5回雀王決定戦に出場しているが、その内4回を最終日トータルトップで迎えている。
驚異と言ってもいい。

結論から言っておく。
優勝は鈴木たろうである。

この後もたろうは、最後まで慢心せず16回戦〜19回戦も連対し、雀王戦史上最高のポイントを叩きだして、第12期雀王に輝いた。
最終日を綴る前に、その優勝を称え、ここに敬意を表したい。

たろうはこの日、全てラスを引いたとしても、トップを上手に振り分けるだけで優勝できてしまうポジションにいた。
それでも、残された3人はたろうを追うことをやめなかった。負けるにしても、負け方というものがある。
少ない材料から、黙々と対子を集め、端牌に絡め、少しでも手が高くなるよう可能性を追った。
しかし、どんなに努力をしたって、そう簡単に大物手が実る訳でもない。
まるで、穴の空いた風船を膨らませるような、その気の遠くなる作業が暫く続いた。

最終日は、印象深かった局を2つ紹介する形で、筆を置きたい。

16回戦南4局、点棒状況は以下。
木原(東家) 22300
伊達(南家) 9900
矢島(西家) 31400
たろう(北家)36400

16回戦でたろうにラスを引かせれば、まだ逆転劇は少し現実味を帯びたかもしれない。
しかしオーラス、結局トップ目に立っているのはたろうである。
ここからたろうのラスはもはや現実的ではないが、自身のトップを夢見て、木原と矢島がリーチを入れる。

木原捨牌(東家)


(リーチ)

矢島捨牌(西家)


(リーチ)

たろう(北家) 17巡目
 ポン ポン ツモ ドラ

木原はを暗カンして切りリーチ。また、木原のリーチ前のは全て手出しである。捏ねまわしていることは間違いない。
矢島の、は手出しで、木原のリーチ後である。

たろうがをツモったところで、何を切る?
消去法であるが、まずここまで一枚も見えていないは打てない。
マンズ は木原に打てず、ソーズの上も通っていない。

少考の後、たろうはをツモ切った。
双方に現物ではないが、を切ってを手出している矢島には通りそうだし、捨牌がいやらしい木原にも、やマンズを打つよりマシ。
結局、はセーフ。

ちなみにを選ぶと、木原にズドン。
2人の刃は、またしてもたろうの喉元には届かなかった。
この後も、似たような局面は度々訪れるが、何度たろうを手詰まらせても、たろうは絶対に放銃しない。
その防御力もさることながら、ここまで大量アドバンテージがある状況で、全く集中力が切れないところが素晴らしい。

20回戦東3局
最終戦。トータル1位のたろうと2位矢島との差、約33万点。
もう、たろうの優勝で決まりだ。それは、間違いない。
しかし、パブリックビューイングで新橋の道場に集まった観客は誰も席を立とうとしない。
結果はどうあれ、一生懸命闘う選手たちの姿を最後まで見届けようと思っているのだろうか。

親番の矢島が開けた配牌に、暗刻が2つ。

矢島(東家) 1巡目
 ドラ

この時点では、ギャラリーもまだ肘をついて見ていた。
大物手がつぼみのまま卓上で散っていく姿を、これまで何度、目にしてきたかわからない。
どうせ、の悲しい三文字が、観客席の空気を澱ませていた。
ところが、を重ね、を重ねて、四暗刻のイーシャンテンとなったあたりから、徐々に立ちあがるギャラリーが出始める。
勿論、役満を1回アガったからといって、逆転して優勝できる点差でもない。
しかし、勝敗の向こう側で、たった一発のホームランを周囲が期待していることもまた、事実であった。

11巡目。ついに、待望のを引き入れる。

矢島(東家) 11巡目
 ドラ

―――「リーチ!」

おお!モニターの前で、観客席が沸き上がる。
みんな、こういうのを待っていたんだと思う。
気付けばギャラリーも総立ちで、矢島と同じ右手に矢島と同じ汗をかいていた。

一発目。ツモ。―――違う!
二発目。ツモ。―――これじゃない!

一つひとつのツモに、観客席がどよめく。

三発目。ツモ。―――がんばれ!
四発目。ツモ。―――惜しい!(惜しくない)

これがアガれたから何なんだ。そんなことは、みんな分かっている。
でも、試合に負けてもいい。たった一発でいい。ただただ、魅せて欲しい。
麻雀ファンの素直な気持ちが、たった一人で山と格闘している矢島の背中に向かって、祈るように注がれた。

ふいに、昨日の帰りの電車での一言が、胸に蘇る。

―――最終日、カッコいいところを見せるからね!

しなやかな動作で、矢島が山に手を伸ばす。
衆目の中、チラっと見えたソーズを、手元に叩きつけた。
決定戦を通して、一番綺麗な音がした。

矢島(東家) 16巡目
 リーチツモ ドラ 裏ドラ

大歓声が、矢島を追いかけた。
もう、勝ちとか負けとか誰のファンとか、関係ない。
心が震えた者だけが出せる裸の声が、観客席に渦を作った。
さすが、やじさん!
私はいつしか観戦記者の立場も忘れて、素直な感情を声に出していた。

止まらない熱気の向こうで矢島は、一人ずつから16000点を受け取って、今ゆっくりとホームベースを踏んだ。

 

長い長い、戦いが終わった。
比類なき強さを存分に見せつけてくれた鈴木 たろうへ、称賛と尊敬の念を込めて、大きな拍手が送られる。
そして、後半戦重たい条件を引きずってここまで歩いてきた伊達、木原、矢島にも、その背中へそっと毛布をかけるように、惜しみない拍手が送られた。

木原は、終始手が入らず、前回決定戦に引き続いて抽選に恵まれなかった。
「予選で負けるよりも本戦で負けるほうが、準決勝で負けるよりも決勝で負けるほうが、リーグ戦で負けるよりも決定戦で負けるほうが、ずっとずっと悔しい」

決定戦の前、木原は自身のブログでそう語っている。
上に行けば行くほど増していくその悔しさは、木原だけのものだ。
しかし、木原が紛れもない強者であることを、周囲にいる我々はよく知っている。

「―――でも、大事なところで負ければ負けるほど、次は勝ちたくなるんだよね」
来期こそは「勝者」となった木原を見られることを期待したい。

これは物凄く意外なのだが、4人の中で唯一、矢島だけまだタイトルが無い。
しかし、今回は雀王決定戦初出場とは思えない胆力を存分に見せつけてくれた。
「プロになってからの方が明らかに強くなった」とコメントする矢島だが、今期だけに限らず、これからも他のAリーガーを脅かす存在となるだろう。

「たろうさんの凄いところは、決定戦を通して一度も牌をこぼしていないところです。
所作をはじめとして、見習うべきところがたくさんあると感じました」
伊達は、違った角度から謙虚なコメントを残した。
あれほど見逃しをかけていなければ、自身のポイントはもっとあったに違いない。
それでも伊達は、「優勝」の為だけに、自分の信じたやり方で、たろうを狙い打つ道を選んだ。
その姿勢は、憧憬となって我々の内側に強く存在している。

そして、鈴木 たろう。
この決定戦を通して、一つ驚くべきデータがある。
なんとたろうは、後半戦10半荘を通して満貫以上を一度も放銃していないのだ。(放銃の最高打点は5800)
そう言えば、たろうが致命傷を負った局面をこの2日間一度も見ていない。最終日は特殊な条件下だったとは言え、衝撃の事実である。

ゼウスと言えば、その右腕に持つ圧倒的な攻撃力、大胆な押し引きと思われがちだが、その下側にある繊細な守備力が、たろうを土台から支えていた。

表彰式。
鈴木たろうは一礼すると、代表の五十嵐からトロフィーを受け取った。
史上初の、「雀王二連覇」である。その偉業を称えて、再び大きな拍手が送られた。
足下には、4日間の大役を終えたゼウスの仮面が、静かに転がっている。
この仮面が、幾度となく三者を苦しめ、絶望に陥れてきたのだ。
来年、ゼウスの衣を剥ぎその仮面を傷つける挑戦者が現れることを、我々は期待している。

鳴りやまない拍手に応えるように、鈴木 たろうが、最高の結果を今一度大きく掲げた。
大事そうにトロフィーを抱えるその表情は、神様でもなんでもない。
ただ「勝ちたい」という等身大の気持ちを胸に人間らしく苦しみ抜いた、どこにでもいるひとりの麻雀愛好家の、屈託の無い笑顔であった。

(文・藤原 哲史)

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